学習動機と教育心理学

                                       
森 敏昭


 地酒と教育心理学

 前回は、教育心理学が不毛性の烙印を消し去るためには、「淡麗辛口(モード
1)」と「濃醇甘口(モード2)」への二極化の構図に風穴を開け、新たに「濃
醇辛口(モード3)」の研究様式を成立させるべきだと述べた。では「モード1」
の研究によって構築された「淡麗辛口」の理論は、なぜ教育実践に役立たないの
だろうか。その理由を説明するために、日本酒の世界で古くから語り継がれてい
る、「四里四方の酒を飲め」という格言を取り上げてみることにしよう。
 日本の全国各地には、その地域の風土にふさわしい料理があり、その風土と料
理にふさわしい地酒がある。例えば、広島名物の冬の味覚は蠣(かき)である。
その蠣料理には、酒都西条が発祥の地とされている少し甘口の「吟醸酒」がふさ
わしい。だから、美味しく飲みかつ食べるのが唯一の生き甲斐である今の筆者に
とっては、友人と「蠣の土手鍋」を囲みながら芳香豊かな「吟醸酒」の杯を傾け
ている時こそが、まさに至福の時である。しかし、その西条の「吟醸酒」も琉球
料理には合わない。以前に沖縄を旅した時に試してみたことがあるが、甘ったる
くて、とても飲めた代物ではなかった。沖縄の風土と料理には、やはり「泡盛」
が最もふさわしい。
 
 
理論の領域固有性

 さて、話を教育心理学の世界に戻し、なぜ「淡麗辛口」の理論が教育実践に役
立たないのかを説明することにしよう。その理由は、筆者の考えでは次の二つで
ある。
 第一の理由は、日本の教育心理学の世界では、残念ながら今なお欧米追従型の
研究が主流だからである。そのため、日本の教育心理学界で流通している理論の
ほとんどは、欧米からの輸入品である。もちろん、国際標準の下で優劣を競う先
端科学の世界では、優れた理論であれば世界中のどこの国でも通用する。しかし、
世界各国の教育は、それぞれの国の固有の歴史や文化を背景にして営まれている
のである。したがって、アメリカの教育実践に役立つ理論が、そのまま日本の教
育実践にも役立つとは限らない。そのことは、カナディアン・ロッキーの雪原に
沈む夕日を眺めながら飲むのにふさわしいバーボンが、フグ刺しに舌鼓を打ちな
がら飲むのにはふさわしくないのと同様である。
 第二の理由は、「淡麗辛口」の理論が目指しているのは、どんな領域にも適用
できる一般性の高い理論だからである。要するに「淡麗辛口」の日本酒は、どん
な料理にも合う、限りなく「水」に近い酒を目指しているのである。同様に「淡
麗辛口」の理論は、できるだけ広範な領域に一般化できる、限りなく「数式」に
近い理論を目指している。しかし、そうした一般性の高い理論を構築するために
は、その代償として、個々の領域に固有の諸々の条件を捨象せざるを得ない。例
えば、「二つの物体が引き合う力は、二つの物体の質量の積に比例し、二つの物
体間の距離の自乗に反比例する」という万有引力の法則は、空気抵抗という条件
を捨象している。そうすることによって、万有引力の法則は、はじめて地球上の
あらゆる物体に当てはまる非常に一般性の高い法則になり得たのである。すなわ
ちこの法則は、ニュートンの生家のリンゴの木の実にも当てはまる。ガリレオが
ピサの斜塔から落としたという鉄の球にも木の球にも当てはまる。もちろん、シ
アトル・セーフコフィールドの右中間上空を飛行中の打球にも当てはまる。しか
し、俊足をとばしてその打球を追っているイチロー選手にとっては、万有引力の
法則など無用の長物である。その時のイチロー選手にとって役立つのは、打球の
方向、風向き、走者の足の速さ、得点差などの諸条件であり、それらを考慮に入
れた「守備のセオリー」なのである。
 これとまったく同様に、教育実践に役立つ理論は、厳密な条件統制がなされる
実験室で構築される理論ではなく、統制不可能な無数の条件が複雑に絡み合う教
育実践の現実の中から立ち上ってくる理論である。そのことを示す具体例として、
今回は学習動機の理論を取り上げることにしよう。

 学習動機の二要因モデル

 教育心理学の分野では、学習動機を「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」
に二分する理論が最も一般的な理論である。実験室研究で構築されたこの理論は、
人間の学習だけでなく、ラットの迷路学習やアカゲザルの弁別学習にも一般化で
きる。その意味では、非常に一般性の高い理論といえる。しかしながら、この理
論を教育実践の改善に活用しようとしても、あまりに一般的過ぎるために、実際
にはそれほど役に立たない。それよりも、市川伸一氏の独自の教育実践から生ま
れた「二要因モデル」の方が役に立つのである(詳しくはブレーン出版刊の『認
知カウンセリングから見た学習方法の相談と指導』を参照のこと)。
 市川氏は、子どもたちに「勉強は何のためにするのか」という教科学習の動機
や目的について、自由記述の調査を行った。その結果、子どもたちの学習動機は、
「実用志向(仕事や生活に活かすため)」「報酬志向(報酬を得る手段として)」
「訓練志向(知力を鍛えるため)」「自尊志向(プライドや競争心から)」「充
実志向(学習自体が楽しいから)」「関係志向(他者につられて)」の六タイプ
に分類できることがわかった。
 このうちの「報酬志向」は「外発的動機づけ」の典型例、「充実志向」は「内
発的動機づけ」の典型例とみなすことができる。しかし、残りの四タイプの学習
動機を伝統的な動機づけ理論で説明するのは難しい。そこで市川氏は、六タイプ
の学習動機をすっきりと分類・整理するための「二要因モデル」を提案した。
 この「二要因モデル」では「学習内容の重要性」を縦軸、「学習の功利性」を
横軸とする二次元の座標上に前述の六タイプの学習動機を位置づける。すなわち、
「実用志向」は「学習内容の重要性」と「学習の功利性」の両方が高い場合、
「訓練志向」は「学習内容の重要性」が高く「学習の功利性」が中程度の場合、
「充実志向」は「学習内容の重要性」が高く「学習の功利性」が低い場合、「報
酬志向」は「学習内容の重要性」が低く「学習の功利性」が高い場合、「自尊志
向」は「学習内容の重要性」が低く「学習の功利性」が中程度の場合、「関係志
向」は「学習内容の重要性」と「学習の功利性」の両方が低い場合、というよう
に位置づけるのである。
 市川氏はさらに、これら六タイプの学習動機が相互にどのように関連し合って
いるかを調べた。その結果、「学習内容の重要性」が高い「充実志向」「訓練志
向」「実用志向」の三タイプの学習動機は、互いに相関があることがわかった。
つまり、これら三タイプの学習動機は一緒に生起する傾向があるのである。同様
に「学習内容の重要性」が低い「関係志向」「自尊志向」「報酬志向」の三タイ
プの学習動機は互いに相関があり、一緒に生起する傾向があることもわかった。
このため市川氏は前者の三タイプを「内容関与的動機」、後者の三タイプを「内
容分離的動機」と呼んでいる。

 学習観と学習方法

 ところで、以上のような学習動機のタイプは前回に取り上げた「学力低下」の
問題とどのように関係しているのだろうか。この点を明らかにするために、市川
氏は学習動機のタイプが子どもたちの学習観や学習方法にどのような影響を及ぼ
しているかを調べた。その結果、「内容関与的動機」の高い子どもは、「失敗に
対する柔軟性(思ったようにいかないとき、頑張ってなんとかするほうだ)」
「思考過程の重視(答えが合っていたかだけでなく、考え方が合っていたかが大
切だと思う)」「方略志向(勉強の仕方をいろいろ工夫してみるのが好きだ)」
「意味理解志向(ただ暗記するのではなく、理解して覚えるように心がけている)
」などの特徴があることがわかった。
 また、そのような学習観をもっている子どもは、例えば英語の学習をする際に、
「一つの単語のいろいろな形を関連させて覚える」「同意語、類義語反意語をピ
ックアップしてまとめて覚える」など、「体制化方略」と呼ばれる質の高い学習
方法を用いることがわかった。さらに、そのような質の高い学習方法を用いる子
どもは、「授業復習基本テスト」「自由教材基本テスト」「応用長文テスト」で
よい成績をあげることもわかった。つまり、「内容関与的動機」が高いことは、
子どもたちの学習に質的にも量的にも好影響を及ぼすことが明らかになったので
ある。
 以上の結果から、「内容関与的動機の低下」「結果主義・暗記主義・物量主
義の学習観」「質の低い学習方法」「学習成績の低下」という学力低下の悪
循環の構図が鮮やかに浮かび上がってくる。これが市川氏の唱える「もう一つの
学力低下論」の構図に他ならない。
 市川氏のこの構図は、学力低下に歯止めをかけるためには、子どもたちの「内
容関与的動機」を高めることが重要であることを明瞭に示している。では、「内
容関与的動機」を高めるためには、これからの教科学習はどのようになされるべ
きなのだろうか。この点については次回に詳しく検討することにする。
           (もり・としあき=広島大学大学院教育学研究科教授)