学習評価と教育心理学
森 敏昭
酒おこしまちおこし研究会
前回述べたように、『夏子の酒』との出会いによって本物の日本酒に目覚めた
筆者は、「世界に冠たる日本の文化」を生涯をかけて追求しようと堅く心に誓っ
た。最近では「酒おこしまちおこし研究会」に入会し、さらに追求を深めている。
会員の名誉のためにあえて申し添えておくが、この研究会は決して単なる「飲
兵衛の集まり」ではない。酒文化を中心に広島の地域文化を深く追求し、その研
究成果を全国に向けて発信することを目指す、志の高い研究会なのである。もち
ろん本物の日本酒を味わうことも研究会の重要な活動内容ではあるが、単に「味
わう」だけでなく、「造る」ことにも参画する。春には「山田錦」の田植えを行
う。秋には稲刈りも行う。そして会員の会員による会員のための銘酒「善七」の
仕込みの季節には、竹原市の某蔵元の酒蔵で、毎年「秋の稔りコンサート」が催
される。しかし、何といっても研究会の最大のイベントは、毎年春に催される全
国酒文化交流会であろう。この交流会には全国各地から二〇〇銘柄以上の吟醸酒
が集結し、会場はさながら全国新酒鑑評会の様相を呈する。
さて、ここで特記すべきことがある。それは、全国酒文化交流会に集まる日本
酒のほとんどが「淡麗辛口」だということである。もちろん筆者は、こうした昨
今の酒文化の動向を批判するつもりは毛頭ない。むしろ、「淡麗辛口」の吟醸酒
こそが酒文化の花であり宝だと考えている。ただ、酒文化が「淡麗辛口」に傾き
過ぎるのはいかがなものか、「濃醇辛口」の酒や「濃醇甘口」の濁り酒があって
もよいではないか、そうでないと赤や白やロゼもあるワイン文化の懐の広さに負
けてしまうぞ、と言いたいだけなのである。
淡麗辛口の学習評価
昨今の酒文化が「淡麗辛口」に傾き過ぎているのと同様に、学習評価の様式も、
いつしか「淡麗辛口」に傾き過ぎてしまったようである。では、その原因は何な
のか。それを説明するために、「淡麗辛口」の酒文化を生み出した「吟醸酒」に
ついて若干の解説を加えておくことにしよう。
「吟醸酒」とは精米歩合が60%以下の清酒を指している。この精米歩合とは白
米の玄米に対する重量の比率のことで、精米歩合60%とは玄米の表層部を40%削
り取ることを意味している。米の胚芽や表層部にはタンパク質や脂肪が含まれて
おり、これらの成分は清酒の香りや味を悪化させる。このため、米を清酒の原料
とする時には、精米によってこれらの成分を少なくした白米を用いるのである。
「大吟醸酒」ともなれば、玄米の表層部のなんと50%以上を削り取り、米糠とし
て捨ててしまう。「吟醸酒」がいかに贅沢なこだわりの酒であるのか、以上の説
明でおわかりいただけたのではないだろうか。ともあれ、精米の技術革新が香り
高い「吟醸酒」を生み出した。そして正にそのことが、酒文化を「淡麗辛口」に
傾ける働きをしたのである。
一方、学習評価の技術革新は20世紀の最初の三〇年間に生じた。すなわち、こ
の時代は「教育測定の時代」と呼ばれ、子どもたちの学力を科学的・客観的に測
定するための方法が発展した。ここでの科学的・客観的測定とは、要するに「誤
差の少ない測定」を意味している。測定の誤差が多くなれば、その測定はそれだ
け信頼性が低下する。したがって、信頼性の高い教育測定を行うためには、測定
の誤差を少なくする必要がある。そのための方法が、この時代に開発されたので
ある。具体的には、それまで伝統的に行われていた口述試験に替わって、評価者
の主観的判断による誤差が混入しにくい客観テスト(標準学力テスト)が開発さ
れ普及した。すなわち、再生法、多肢選択法、正誤法、空所補充法など、学力検
査(いわゆるペーパーテスト)で用いられている方法の多くは、この時代に開発
されたものなのである。
しかし、こうした評価技術の革新が、学力評価の対象をペーパーテストによっ
て客観的に測定することが容易な「知識・理解」の領域に偏らせる傾向を生み出
した。つまり、学力は本来、知情意の総合力であり、「知識・理解」「思考・判
断」「表現・技能」「関心・意欲・態度」などの観点から総合的に捉えるべきで
ある。それにもかかわらず評価技術の革新が、学力のいわば「端麗辛口」成分で
ある「知識・理解」の側面だけを評価するという一面的な学力評価をもたらした
のである。
そうした一面的な学力評価がなされると、子どもたちの学習方略の質が低下す
る。そのことは、例えば村山航氏の研究に端的に示されている。
村山氏は中学二年生の歴史の授業を対象にして、テスト形式(空所補充型テス
トと記述式テスト)が学習方略やノート書き込み量に与える影響を実験的に検討
した。その結果、空所補充型のテストを繰り返すと、学習内容を深く理解しよう
とせずにテストに備えて丸暗記するだけの「暗記方略」が増加したり、ノートの
書き込み量も減少するするなど、子どもたちの学習方略の質が低下することが明
らかになったのである(詳細は『教育心理学研究』第五一巻第一号に所収の論文
を参照のこと)。
以上の検討で明らかなように、従来の学習評価の問題点は、評価の科学性・客
観性を重視するあまりに、画一的な評価規準に基づく評価がなされてきたことで
ある。そのことが子どもたちの学習観を偏狭なものにし、学習の質を低下させ、
ひいては子どもたちの多様な個性を削ぎ落とす働きをしてきたのである。しかし、
学習評価は決して鋳型によって同型の鋳造を作る鋳物師の技であってはならない。
なぜなら教育の本来の目的は、子どもたち一人ひとりの個性に寄り添い、それぞ
れの個性がそれぞれの未来に向かって伸びていくのを支援することに他ならない
からである。したがって、これからの学習評価では、子どもたち一人ひとりのよ
い点や可能性を積極的に評価し育んでいくための、新たな評価規準・評価方法の
開発が重要になる。そして、そのためのキーワードは「未来」と「自己評価」で
ある。
すなわち従来の教育評価は、相対評価であれ絶対評価であれ、評価基準を決め
るのも評価をするのも常に教師であった。しかも、教師が過去の指導の結果を振
り返って評価するという意味において、「過去志向」の評価であった。しかし、
上述したように、教育の本来の目的は、未来の目標に向かって伸びていこうとす
る子どもたちの自己形成の営みを支援することなのである。したがって、これか
らの学習評価では、自己形成という視点から一人ひとりの子どもたちをより深く
理解することが不可欠であり、そのためには教師と子どもたちが「未来を共有す
ること」が大切である。また、これからの学習評価は、子どもたちの「過去」に
対する最終判定ではなく、子どもたちのそれぞれの個性的な「未来」に展望を与
え、それぞれの自己形成のプロセスとしての「学び」を豊かなものにするために
役立てられるべきである。
熱燗の学習評価
最後に我々日本人が生み出した独自の酒文化に触れておこう。それはすなわち
「燗酒」の文化である。寒い冬、凍てついた心と体を芯から暖めてくれるのは、
何といっても熱燗の日本酒である。この「燗酒」の文化を取り入れることによっ
て、従来の学習評価に常に常につきまとってきた「冷たさ」を払拭することがで
きるのではないだろうか。しかしそのためには、学習評価の様式を「減点主義」
から「加点主義」へと改める必要がある。
従来の学習評価では伝統的に「減点主義」の評価がなされてきた。この減点主
義の評価とは、あらかじめ満点の状態を想定しておき、その状態に達していない
問題点があれば、その程度に応じて減点する方式の評価法を指している。こうし
た減点主義の評価は、色を混ぜ合わせる場合の「減法混色」に例えることができ
るだろう。例えば、色の三原色である赤・青・黄の絵の具を混ぜ合わせると、ど
の成分色の明るさよりも暗い灰色になる。絵の具の色のような反射光の場合、各
色の絵の具は特定の波長の光線を吸収してしまうので、混合色の明るさが減少し
てしまうのである。ここで、赤・青・黄の色をそれぞれ自己意識・他者認識・世
界観に例え、これら三色の混色によって各自の人生観(未来展望)の明るさが決
まると仮定しよう。そうすれば、なぜ減点主義の評価(減法混色)が子どもたち
の人生観(未来展望)を暗くするのかがわかるだろう。
これに対し、赤・青・黄の光を混ぜ合わせると、混合光の強度は成分光の強度
の和に等しくなるので(これを加法混色と呼ぶ)、混合光はどの成分光よりも明
るくなる。このことは、子どもたちの人生観(未来展望)を明るくするためには、
子どもたち一人ひとりのよい点や可能性に着目し、それを積極的に評価し育んで
いく「加点主義の評価」が必要であることを示唆しているのではないだろうか。
この連載エッセイも今回が最終回。洋酒・焼酎ブームの陰で長期低落傾向にな
かなか歯止めのかからない日本酒業界が元気を回復してくれることを願いつつ、
また、21世紀の教育心理学が「端麗辛口」に偏らず、「端麗甘口」「濃醇辛口」
「濃醇甘口」を含めた四領域へ幅広く豊かに展開することを期待しつつ、本稿を
終えることにする。
(もり・としあき=広島大学大学院教授)