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| 東広島市西条町の独立行政法人酒類総合研究所で行われた平成15年度全国新酒鑑評会で、みごと金賞を受賞されました。公開きき酒会は平成16年5月に東広島市運動公園アクアパーク体育館で、おこなわれ全国から酒造関係者、酒販店関係のみなさんがあつまってこられました。この年は、酒類総合研究所が前身の国税庁醸造研究所発足以来創立100周年を迎えた記念すべき年に当たり記念式典も行われていました。 |
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2005年3月12日(日)千代乃春酒造の庭には創立時植えられた、樹齢250年の老白梅が表の道路までほのかな甘い香を漂わせていました。この日は、千代乃春酒造の新酒蔵出しの日で朝から県内各地から千代乃春酒造の新酒を買い求めに多くのファンが訪れていました。
瓶詰め工場で、この日に限り特別に、純米吟醸生原酒を、目の前で直接瓶詰めをして、手渡してもらえるのです。
この日は、社長さんをはじめ杜氏さんや酒造りに携わった蔵人の皆さんからいろいろなお話を伺うことが出来、とてもうれしくなった一日でした。、母屋では新酒の酒粕を使った甘酒も振舞われ、お酒の飲めない子供さんにもとても楽しめる日であったことはいうまでもありません。 |
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千代乃春酒造の辺には一級河川半川(はんかわ)が流れています。
半川周辺では毎年、地元の志和堀地区総出でホタルまつりが行われ、東広島市のみならず、広島県内外から、蛍を見るために観光客が訪れます。
地元の志和堀小学校では総合学習の環境学習として蛍の幼虫のすむ半川の清掃作業を行います。 |

母屋の軒先には、酒の神様、三輪神社からいただいた、杉玉が下がっています。
三輪神社に祀られている大国主命は、薬の神様であることから、酒も古来、薬の一つとされていましたので、杉の葉で作った薬玉(クスリダマ→クスダマ)=杉玉が、酒造りのお守りであり、新酒ができたしるしとして、造り酒屋の軒先に吊るされるようになったといわれています。 |
一級河川半川は、広島市内に流れる三篠川の支流で、海抜250mの志和高原を流れる清流です。
千代乃春酒造は、その蛍舞う半川の辺に立ち、清い井戸水を酒造の仕込み水として256年営々と酒造りに励んでこられました。 |

半川には、千代乃春酒造周辺では源氏蛍、もう少し時期が下がって上流では平家蛍が、美しくも悲しげな、灯りを灯しながら飛び回っています。 |
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| 「蛍舞う 清きせせらぎ 志和の里」と、蛍の里の石碑が建てられています。 |
半川にかかる橋の欄干は、蛍舞う、蛍の里、志和堀のイメージを表わしています。 |
志和堀のホタルまつりの時には半川周辺というか志和堀地区全体にこのホタルまつりののぼりが立てられ、まつりの雰囲気を盛り上げています。 |
千代乃春酒造からは、ホタルまつりに協賛して純米吟醸酒、蛍舞(ほたるまい)を発売しています。ラベルに蛍光塗料を使った蛍が描かれ、ひとつひとつ社員の皆さんが心をこめて筆をいれて居られるそうです。
ホタルまつりの時にはこのホタルまつりの記念として買い求めて帰られる観光客の皆さんが多いと言われます。 |
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志和堀地区にはまだ、いくつかの茅葺きの民家が残っています。この建物は、蛍の宿として、志和堀の民家を借り受け、環境学習の実習施設として運営をしている建物です。
五右衛門風呂が再現され、自分で薪割をし、風呂を沸かして入り、建物に宿泊できるなどの体験が出来るようになっています。
ホタルまつりの時などは、この「蛍の宿」に宿泊して、千代乃春酒造の蛍舞を心行くまで飲み交わし夜遅くまで語り合う人々も多いようです。 |
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国の登録有形文化財、時報塔 |
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覚醒の鐘(かくせいのかね)東広島市志和町志和堀字二の平に建つ。
現在地元では、「かねつき堂」と呼び、親しまれている。外に「黄鐘(おうしょう)」の名もあり。
1921年(大正10年)2月、帝国在郷軍人会志和堀分室会長川口八百八らが疲弊した農村の活性化、時間励行などの実行を促すため、「覚醒の鐘」の建設を計画、村長橘鶴次の賛同を得て同村からアメリカへ入植している人々へ寄付を呼びかけ、岩国実夫・植木孫太郎・古谷常三郎・佐々木恕一・佐々木多一・佐々木喜三・湯川良郎・宮本俊一・畑与八・山根角一・古谷啓・佐崎若一・佐々木他々一・湯川一・宮本松一、他に敷地は小松権六、棚垣を竹村逸三、その他の寄付で建立された。竣工は大正11年5月7日。
平成9年国文化財指定・
時報塔の横には、「時ハ金」 「定時励行」 「時間節約」などの文字が刻まれている。現在も建てられた当時の黄鐘(こうしょう)が吊るされており、日本では半鐘が多いのだが、寄贈した米国在住者からアメリカ製の鐘が贈られたもので、教会などに吊るされている鐘が贈られたという珍しいものです。現在も教会の鐘独特の音を鳴らすことが出来ますが、現在ではサイレンが、鐘の変わりに時を知らせています。近年、時報塔の改修記念式では、建設当時そのままに、鐘を鳴らし、子供たちのこころにもその鐘の音を刻んでいます。志和堀地区では、今でも毎日サイレンが鳴らされ、建立当時の願いを人々に伝え続けています。(鐘つき堂物語より) |
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志芳堀荘(しわほりのしょう)
1337年(建武4年)12月2日、足利尊氏が本家宗領職として天野讃岐守顕氏に相続を許した中に志芳荘、堀荘・伊豆守天野荘、武蔵国由井本郷大畑村、美濃国下有地御厨本郷などとあり、その中に「堀荘」とあるところをみると、当時志和堀は、その領家は不明であるが、独立した荘園であったことが伺われる。(萩藩閥閲録遺漏)<飯田米秋>
志芳荘(しわのしょう)
和名抄にいう志芳郷の地、1128年(大治3年)の平正頼の譲状にはまだ、「志芳郷」(仁和寺文書)とある。 |