広島市の袋町小「伝言」26日から調査
'00/1/26
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原爆投下直後に児童らの消息を記した伝言が壁の漆喰(しっくい)の下に残っていた広島市中区の袋町小学校西校舎。市教委は二十六日から、ほかの部分に伝言がないかを確認する調査に入る。だが、あくまでも校舎の解体を前提にした調査であり、被爆建物の保存・継承を掲げる広島市の平和行政のあり方が問われている。
(和田木健史)西校舎は、爆心地の東南約四百六十メートル。原爆で全焼し、鉄筋三階建ての外郭だけが残った。増改築を重ねて使ってきたが、一九三七年の建築だけに老朽化が進んでいる。市教委は、ボランティア活動の拠点や児童館、地下駐輪場との複合施設を前提に、袋町小の全面改築計画を進めてきた。
今回の調査は、昨年三月に伝言の一部である二文字が戦後塗られた漆喰の下で見つかったのがきっかけ。歴史展示室として保存する部分、戦後の増改築部分、外壁を除く廊下や階段などの壁面が調査対象で、床面から高さ一・二〜一・五メートル部分の漆喰を帯状にはぎ取り、板壁なども取り外す。
■一部分は展示室に
伝言が残っていた一階階段周りや児童三人が奇跡的に助かった地下室など延べ約百八十平方メートルを歴史展示室として保存し、それ以外の延べ二千五百五十平方メートルは解体―というのが市教委の方針。うち延べ二千二百六十平方メートルは原爆時に焼けた被爆建物である。
「他の場所に伝言が残っている可能性が否定できないので調べるが、保存範囲の拡大は考えていない」と市教委の居阪宏次長。伝言が出てきた場合、切り取り保存などを検討している。
調査の指導に当たる広島大文学部の三浦正幸教授(建築史、文化財学)は「伝言があるとすれば腰の高さから手が届く所まで。当時は縦書きであり、三十センチ幅のはぎ取り調査で見落とすことはない」と話す。
市民グループ原爆遺跡保存運動懇談会の楠忠之副座長は「調査範囲はおおむね妥当だが、調査前から保存範囲が決まっていることは理解できない」と不満を漏らす。さらに「被爆時の状況をきちんと伝えるためにも、全面保存すべきだ。それが無理なら、保存場所をできるだけ拡大する姿勢がほしい」と注文する。
■計画の再検討なし
市は九三年、被爆建物等保存・継承事業実施要綱を制定した。「保存・継承のための意識啓発」をうたい、民間の被爆建物の保存工事に補助金を出している。袋町小西校舎も、要綱で定めた庁内関係組織で構成する検討会議を九七年十月に二回開き、部分保存の方針を決めた。
第一級の被爆資料である伝言の発見という新たな事態の発生後、あらためて検討会議を開くことはしなかった。被爆建物の保存・継承を担当する市国際平和推進部の浜本康男部長は「市教委との内部協議はしてきた。都心部の建物の活用や全面保存のコストなどを考慮すると、部分保存は妥当な選択」と語る。
■10年間で解体13件
被爆から半世紀余り。建物の老朽化が進み、この十年間で十三件の被爆建物などが解体された。そのうち三件は、市が所有する橋と建物。広島大工学部の石丸紀興教授(建築計画学)は「まず建て替え計画ありきで、被爆建物を積極的に保存しようとしない市の態度が問題」と指摘する。
約五週間の調査の後、四月以降に解体、というスケジュールを市教委は描いている。「平和首都」を自任する広島市に最もふさわしい被爆建物の保存方法とは何なのか。調査結果によっては、計画に縛られない柔軟な対応が望まれる。
最近10年間に解体された被爆建物など (広島市国際平和推進部調べ)
年月 名称と所在地 1990.8 広島市信用組合本部=西区横川町3丁目(1.70キロ) 1990.9 ※御幸橋=中区千田町3丁目-南区皆実町6丁目間の京橋川(2.27キロ) 1991.12 キリンビアホール=中区本通(0.67キロ) 1992.11 ※元安橋=中区中島町-大手町1丁目間の元安川(0.13キロ) 1993.2 広島陸軍兵器補給廠第1兵器庫=南区霞1丁目(2.80キロ) 1993.4 広島赤十字・原爆病院(広島赤十字病院)=中区千田町1丁目(1.50キロ) 1994.3 山陽記念館=中区袋町(0.40キロ) 1995 法雲寺・山門=中区宇品御幸3丁目(3.66キロ) 1995.8 ※観音小学校プール(広島二中プール)=西区観音本町2丁目(1.79キロ) 1995.8 三星製菓工場=南区西蟹屋4丁目(2.35キロ) 1996.3 広島大理学部校舎(広島高等師範学校付属国民学校)=中区東千田町1丁目(1.30キロ) 1997.1 日本通運宇品倉庫(広島陸軍糧秣支廠倉庫)=南区宇品海岸3丁目(4.60キロ) 1997.9 福屋幟町別館(広島中央放送局)=中区幟町(1.00キロ)
【注】名称の前の※印は広島市所有、カッコ内は被爆当時の名称。 所在地のカッコ内は爆心地からの距離
広島市の補助で保存工事をした被爆建物
年度 名称と所在地 保存内容(補助額) 1993 広島赤十字・原爆病院=中区千田町1丁目(1.50キロ) 折れ曲がった窓枠などの保存(3000万円) 1994 広島アンデルセン(帝国銀行広島支店)=中区本通(0.36キロ) 外壁などの保存(2840万円) 1996 浄光寺=中区荒神町(2.10キロ) 山門の保存(718万円) 1998 万休寺=東区中山東3丁目(4.60キロ) 本堂のゆがみ修正、屋根復元(2026万円) 1998 多聞寺=南区比治山町(1.75キロ) 鐘楼の基礎補強(582万円) 1998 穴神社=南区丹那町(3.84キロ) 本殿の修復(18万円) 1999 真幡神社=南区大河町(3.44キロ) 拝殿の修復(未定)
【注】補助額は保存工事費の4分の3以内で、限度3000万円 【写真説明】原爆投下直後の伝言が漆喰の下に残っていた袋町小西校舎の1階階段付近。他の場所にも伝言がないか、26日から広島市教委が調査する
この記事は中国新聞(http://www.chugoku-np.co.jp/)より転載しています。