被爆の旧日銀広島支店、市重文で保存

'00/7/26

 広島市中区袋町の被爆建物、旧日本銀行広島支店が二十五日、市重要文化財に指定され、保存が正式に決まった。被爆当時、広島財務局(現・中国財務局と広島国税局)の大半の職員も入居。多くの死傷者を出しながらも、戦後広島の金融復興のかなめとなっただけに、関係者は一様に喜んだ。

 最も被害の大きかったのが、財務局が使っていた三階部分だった。財務局では八丁堀庁舎(中区)と合わせて約百五十人中、九十三人の死傷者が出た、とされる。

 「三階への階段に血の手形がついていた。大けがをした先輩たちが下へ避難した跡だろう」。可部税務署から被爆の二日後、救援に駆け付けた税理士佐伯廉さん(71)=安佐北区口田南七丁目=は「思い出したくない面はある。だが、日銀支店は貴重な原爆遺跡」と今回の指定を歓迎する。

 広島県佐伯郡宮島町の税務講習所から被爆三日後に支店に駆け付けた税理士世戸原正雄さん(73)=中区国泰寺町一丁目=は「支店内はガラスが飛び散り、鉄枠も曲がっていた」と記憶をたどる。「戦争の悲惨さを語り継ぐため、建物を後世に残せてよかった」

 日銀広島支店は八十五人中、五十二人が死傷した。二日後から金融業務を始め、民間市中銀行も一時、この支店に集まった。原爆投下から二カ月余りたった一九四五年十月末、日銀行員として支店に赴任した広島総合銀行相談役の篠原康次郎さん(82)=南区翠一丁目=は土間で寝泊まりし、占領軍との連絡などに当たった。

 「赴任時はまだ窓ガラスもなく、板を打ち付けてあるだけだった。その中での金融業務再開。地下金庫で銀行券が無事だったことも大きい。廃虚の中から復興の原動力になった面をとらえ、活用策を考えてほしい」と篠原さんは訴える。

 文化財指定を受け、広島市は三十一日、日銀と無償貸与の契約を交わす。活用策論議も本格化する。

この記事は中国新聞(http://www.chugoku-np.co.jp/)より転載しています。