| 2000/7/27 |
|
|||||
|---|---|---|---|---|---|
「ここ十年ほどかねえ。テレビの前で黙とうしているのは」。広島市原爆被害者の会の幹事桑原千代子さん(68)=南区宇品西二丁目=は、平和記念式典に最後に参列した年を思い出そうと指を折った。このところ、八月六日の朝は自宅で、被爆死した友人に手を合わす。 「訴えも空々しく」
毎年八月六日の「原爆の日」に営まれる広島市主催の原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)。一九四七年の「広島平和祭」に端を発したこの式典は、原爆犠牲者の追悼と、核兵器廃絶を世界に訴える場として形作られてきた。一方で、式典の歩みには批判の声も付きまとう。いわく「あいさつ式典」「形式主義」「マンネリ化」といった具合に。 運営論議立ち消え 例えば、被爆五十周年を迎えた一九九五年の式典。あいさつに立った来賓は過去最多となった。首相、衆参両院議長、最高裁長官、国連事務総長特別代表、広島県知事、同県議会議長の七人。あいさつだけで三十三分。一時間ほどの式典の半分を占めた。今年は首相、衆参両院議長、県知事、県議会議長の五人である。 こうした式典運営をめぐる議論は、浮かんでは消えた。広島市長の諮問機関、平和文化推進審議会では、六七年の発足当初から「被爆者を前面に押し出すべきだ」「被爆体験の継承の場に」といった改善を求める意見が出た。その後も広島平和文化センターの理事会で、被爆者団体代表などから幾度となく見直しの声が上がった。 被爆者医療に尽力し九九年六月に亡くなった医師原田東岷さんも「あいさつ式典」を批判した一人だ。九六年の式典参列後に記したエッセー「八月六日に考える」に厳しい言葉を残す。 「(首相や大臣が)来ないと具合が悪いし、来たからには演壇に立たないと面子(めんつ)にかかわるのだったら、横一線にならび『以下同文』とやったら、暑い中だから被害が少なく大喝采(かっさい)だろう」 「あいさつを減らそうとは思ったが・・・」。前広島市長の平岡敬さん(72)は八年間携わった式典を振り返った。市民から意見を募集し、子ども代表による「平和の誓い」などを式次第に追加し、式典の見直しは行った。だが、「あいさつ」までは切り込めなかった。 「こちらが招いた以上、話さなくていいと言えない。固まった式の骨格をいじれない、役所の前例主義も一因だろう」 市長「声聞こえぬ」 二十世紀最後の平和記念式典の概要が二十四日、発表された。記者会見に臨んだ担当局次長らは「前年通りで・・・」「今世紀の式典の歴史を踏襲させていただく」との言葉を繰り返した。秋葉忠利市長は「今のところ、式典のあり方をめぐる市民の大きな声は聞こえてこない」と言葉を濁す。 原田さんのエッセーは、こう締めくくっている。 「(私の)提言を『ナールホド』なんて感心などしていないで、討論のテーマにでもして欲しい」 |
この記事は中国新聞(http://www.chugoku-np.co.jp/)より転載しています。